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2005/10/15

コジツケ気味、フランス語の表現集 その7

果物と野菜は健康のもと。それなのに、なぜかフランス語のくだけた表現では否定的な意味で使われることが多い。太っていると "grosse patate(大きなジャガイモ)" 扱いされるし、つまらない映画は "navet(カブ)" 。間抜けな馬鹿げたことを言ったりすると "espèce de cornichon(ピクルス野郎)" 呼ばわりされてしまう。『タンタン』のアドック船長が誰かをあざける時は "cornichon diplomé(保証付きのピクルス)"。
一度口の中に収めた果物や野菜は、そのままにしておいた方がいい! 子供たちには食べ物をそまつにしてはいけないと繰り返しているのに、果物や野菜を使った数知れない言い回しをみると、大衆的フランス語表現は、この原則を無視して平気の顔。さあ、八百屋さんにお出かけだ!(ピエール)




特集目次

  • recevoir / jeter des tomates
  • rentrer dans le chou
  • presser quelqu'un comme un citron
  • ramener sa fraise
  • oreilles en chou-fleur
  • tomber dans les pommes
  • courir sur le haricot
  • marcher a la carotte
  • se payer la poire de quelqu'un
textes et dessins : Pierre Ferragut
翻訳 : 佐藤真

recevoir / jeter des tomates

も ちろんトマトより花を投げてもらった方が理想的だ。"Jeter des fleurs(花を投げる)" は「ほめちぎる」の意味だから。ところが、不幸にも、ののしり、やじられる羽目になると、投げつけられるのはトマト。百年くらい前は、観客は卵やフライド ポテトを投げるのが習慣だったが、投げつけられた方は "rouge comme une tomate(トマトのように真っ赤に)" なるくらいに恥をかいたものだった。

rentrer dans le chou

俗 語で "chou(キャベツ)" は "tete(頭)" のこと。それが時には「お尻 cul」の意味にもなるが、"Rentrer dans le chou(キャベツの中に帰る)は、単に「突然襲いかかったり、殴るために相手に向かっていくこと」だ。 "chou" を「お尻」ととって、エッチなことを想像したりしないでね。

presser quelqu'un comme un citron

「レ モンのように誰かを搾る」は、「誰かを徹底的に利用する」こと。"presser le citron(レモンを搾る)" ともいう。オレンジと同じくレモンも果汁が何よりで、それを搾り出すイメージは、臆面もなく誰かを利用しつくすことを思い起こさせる。"presser l'orange et jeter l'écorce(オレンジを搾って皮を捨てる)" ともいうが、使い捨て社会、そしてその中で無神経になった私たちを、みごとに表している言い回しだ。その一方で、環境を救うために "se presser le citron(自分のレモンを搾る→知恵をしぼる)" 人たちもいるのだが。

amener sa fraise


バ レーボールで "carotte(ニンジン)" は、アタックするような振りをしてジャンプすること。相手は当然スパイクに備えて動くことになるという、フェイントの一つ。口悪くいえばごまかし、意地悪 でずるいテクニックのことだ。「ニンジン」は、ニンジンが大好きな "coup du lapin(ウサギのプレー=>ずるがしこい人のプレー)" といってもいいだろう。

sucrer des fraises
不安、病気、老齢などで手足が震えること。イチゴに砂糖を振りかける時の手の動きからきている。

oreilles en chou-fleur

ケ ンカをしたり、肉体的ダメージを受けてゆがんでしまった耳が "oreilles en chou-fleur(カリフラワーの耳)"。一部のラグビーマンやボクサーのように血腫で変形してしまった耳にも使える言い回しだ。もちろんカリフラ ワーの形に似通っていることからきている。

tomber dans les pommes

「リ ンゴの中に落っこちる(=>気を失う)」という表現の起源は謎に包まれている。"être dans les pommes cuites(煮リンゴの中にいる=>疲れている)" という言い回しと関係があるともいえるし、それに近い表現 "etre cuit(煮上がった=>年貢のおさめどき、おしまいだ、力尽きた)" も頭に浮かぶ。どちらにせよ、この表現は今でもよく使われていて、"perdre connaissance(意識を失う)" というきびしい現実を和らげる助けになっている。

haut comme trois pommes
背丈の低い人をからかって使う表現。リンゴは大きくてせいぜい高さ10センチ。三つ重ねても大した高さにはならないね。

courir sur le haricot


「イ ンゲンの上を走る」という言い回しがどうして「うんざりさせる」という意味になるのか。コジツケ表現の典型だ。19世紀末くらいに "courir(走る)" を "importuner(うんざりさせる)" の同義語として使っていたことに由来する。別に補語は必要としなかったのに、ことさら"haricot(インゲン)" がくっついたのは、"haricoter" という今はなき動詞があり、「仕事上ケチである」という意味があったので、自然の成り行きだったのかもしれない。

C'est la fin des haricots
最後の最後のインゲン豆までを食べつくしてもう何も残っていないということ。「万事休す」 という意味になる。


"au baton(棒で)" 歩く人(おどかされたりよほどショックを受けないと行動に出ない人)もいるが、"à la carotte(ニンジンで)" 歩く人もいる。ご褒美がないと動かない人のことだ。「クラスでいちばんになったら、誕生日に自転車を買ってあげる」と息子の成績しか頭にない父。「おとな しくしていたら、デザートはアイスクリームよ」と大声を上げる娘に疲れた母。魂胆丸見えだが、私自身も、月末にニンジンをいただけたら大満足。

marcher a la carotte
se payer la poire de quelqu'un


大 衆的フランス語の大家、クロード・デュヌトンが指摘しているように、ひと昔前、ナシはいちばん愛されていた果物だったと思われる。ふつう果物は否定的なイ メージで扱われることが多いのだが、ナシだけは、当然ながら喜びを呼び起こす時に使われる。例えば今でも、誰かといいことを分かち合う時、"couper la poire en deux(ナシを二つに切り分ける)" という。しかし、ナシは同時に「頭」や「顔」を想像させるから、"tête" や "visage" のかわりに使われて、 "faire sa poire(もったいぶる)" あるいは "se sucer la poire(激しくキスを交わす)" という表現がある。また "se payer la poire de quelqu'un" という表現もあるが、これは "se payer la tete de quelqu'un(からかう)" という表現のもっとくだけた形だ。

 

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